幸せへの階段!

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第22話 最後の調停 その4

相手の承認の番になりました。私は控え室で待つことに、ことの詳細を司法書士さんに連絡をしてました。

携帯をたたんで、しばらくすると書記官さんがやってきて承認されましたので、手続きをしてくださいと、少しびっくりしましたが、手続きをしました。ここでも相手が信用できない旨を伝えて、強制執行ができるように手続きを終了しました。

そして相手は先に帰ったことを告げられ、私も家庭裁判所を後にしました。

またここに来ることになるとと予感を残しながら、車に乗り込み実家に帰りました。

1週間後、調書ができたと報告がありました。取りに行きました。そしてそれをもってそのまま、市役所へ。

調書を付けて、離婚届を出しました。ここでも少しトラブルがありました。本籍と苗字を変えるのに本人の署名が必要だと。
裁判所からは、私だけ行けば離婚は成立すると・・・。しかし、役所の手続きは違っていました。ここでも、日本の縦割り行政の曖昧さを感じた私は、家庭裁判所と市役所相手にことの相違と馴れ合いについて、担当者とやりあいました。
市役所側には、家庭裁判所に遠慮して今まで便宜を図ってきてことを法律どうりにさせることを力説し、裁判所側には、そのことも知らずに市役所側にまかせっきりにしてたことを痛烈に批判しました。
結果は私の勝ち。親権の欄も私には書けませんでした。

そして、数日後・・・事件は起きたのです。

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第21話 最後の調停その3

うつ病。それは私の心の傷に医者さんが付けた名前です。薬もある。最新医学では手術さえもあるようだ。癒えない傷・・・・それを私は卑怯にも駆け引きの道具に使った。

「何をするか判りませんよ」

・・・書記官は黙り込みました。とりあえず別室に私は移され、裁判官を交えて話し合ったようです。

女性の調停員が私を呼びに来ました。ちょっとだけ調停員さんと話をしました。私はこういう性格だから、言わずにはおれない。正義と思ったことは貫き通してきたと。

そしてもとの部屋に帰ると裁判官と書記官、調停員さんが待っていました。元嫁の姿はありません。

「特例ですが・・・・別々の部屋で調書の確認をします。・・・」
書記官の若い男性職員は小さく言いました。
彼には初めてのケースだったのかもしれない・・・。脅しとも取れるこのカードで私はことを有利にしました。

裁判官を前に、両脇に調停員。わたしは臆することなく読み上げる調書を一字一句洩らさないように神経を集中しました。
最後に裁判官が「これでよろしいですか?」と質問してきたので、女性の調停員さんに「言いたいことは言わずにはいられませんから・・・」とことわると微笑みで返してくれました。

まず、慰謝料代わりに要求した。6万円の掃除代に消費税分を上乗せすること。そして司法書士の先生とも話した結果、家の売却には同意する旨の文書を盛り込むこと。その文言でした。
私は「関係書類には印を必ず押すこと。」を前面に押し出して書くことを主張しました。
コレには、裁判官も書記官も面食らったようで、そこまでの書き方はできないと言われました。
逆に私は裁判官に言いました。

「私は、元妻を信用できない。それは調停員さんも同意見でした。ですから其処までの文章を盛り込まないとすぐに裏切ります。コレは私の人生において重要なポイントです。人生の岐路です。裁判所側としてはどのような書き方なら納得するんでしょうか?」

「そうですね・・・誠意を持って協議に応じることと言う表記ですね・・・」裁判官は淡々と言い返してきました。

「家の売却に応じると言う点で印鑑をおすということだからねぇ」と

「なら、直接的な表記にしても良いではないですか?!」と切り替えしましたが、首を縦に振りません。

「それが、裁判所側の最大の表現なんですね?」というと書記官と裁判官は「そうです。」と答えました。

「しかたありません。ならそれで結構です。」私は答えました。なんと日本的な曖昧な表現しか日本の役所というところはできないのだろうと半ばがっくりしました。

そして、相手側への承認に移ることになりました。

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第20話 最後の調停その2

私は、この日、安定剤を飲んでいきませんでした。不安も強烈にありましたが、それよりも何より勝ちたいと言う意思と安定剤を飲むとどうしても頭の回転が落ちるからです。その後、後遺症に悩まされるとは思いませんでしたが・・・。

そして、調停中、頭は冴えまくってました。相手が良く理解していないうちに民事再生を理由に養育費を押さえにかかりました。

相手は嘘つきです。生まれつきの嘘つきです。ですから、ここが踏ん張りどころでした。相手はあると程度滅入って来ていたようでいくらまで出せるかと聞いてきたので、一円も出せないと言いました。養育費は、義母のために使われるのが目に見えていたからでした。
すると相手は、最低1万円と言ってきました。それでもイエスとは言いませんでした。娘が可愛くないのかと思われるかたもいるでしょうが、もう、娘は死んだも同然です。そう思って非情になりました。

そこで一度退出許可をもらって、司法書士の先生と相談しました。まだ、下げられる。できれば、民事再生のときに苦しくなるからも少し調停を伸ばすようにと言われました。

そして、調停員さんに
「もう少し、考える時間をくれませんか。出ないとすべてを白紙に戻します。」と告げると、
「このままでも不成立になるだけですよ。貴方はもう十分苦しんだじゃないですか、もうこの辺で線を引いたほうがいいのではないのですか?」と答えられました。
「では、私の養育費を払えるのは5000円が限界です。それに今までのことも迷いが出てきてます。」と私は言いました。
内心、ここら辺が限界か・・・と思っていました。慰謝料は家の清掃代60000円を負担することを求めました。

そして相手の番となり、私は控え室で再度司法書士の先生に電話しました。話を伝えると私と同じ考えのようで、「うーん、仕方ない。この辺で決めちゃいましょうか。相手はこれからの自分がわかってないようですし、ただ、調書に記載されると公正文書ですから家の売却だけは同意をもらってくださいね。」と言われました。

次の私のラウンドが回ってきました。元嫁は娘が手に入れば何でも良かったようで冷静な金銭感覚を失っていたようです。コレは思惑通りでした。養育費は5000円で決着。慰謝料も払うと。財産分与は互いに干渉なしということでした。ただ、私は、マイナスの財産だけしか渡すつもりはありませんでした、私は愛する娘というもっとも大切なものを奪われるのですから。

やはり嘘つきだと思うのは、父親には合わせたいなどと調停員さんに言ったくせに、いまだに一度も合わせません。祖父たちにも同じように言ったそうですが、嘘でした。
私は、人間不信になりそうでした。

調停は今日で成立することになり、書記官が入室してきました。
二人で裁判官の調書の読み上げを受けるようにと言われましたが、私はあいつの顔など見たくもありませんでした。

本来なら、調書の中身を2人と調停員で確認し同意することが原則です。でも、私はここで手持ちのカードを切りました。

「書類でも提出しているはずです。私は、今重度のうつ病です。原因は相手側の対応にあります。ですから、2人で会うと私の精神状態はどうなるかわかりませんよ。理性は今ぎりぎりですから。」とニヤリとしました。私は、少しでも私に有利になればと離婚が原因でうつ病になったと言う診断書を裁判所に提出していたのです。

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第19話 最後の調停その1

最後の調停が始まりました。

2回目の調停のとき、こちらから要求していたことの返答はすべてノーでした。しかも、勝手に親権はもらう、苗字も変える、慰謝料は高額なものでしたそれを少し下げてきていました。

でも、私はそれを飲みませんでした。例の民事再生離婚の原因はあちらにあると言う主張でした。一貫して。
でしたので、慰謝料はもらう。養育費は払わない代わりに面接交渉権も放棄すると告げたのでした。

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第18話 幸せものの私。

幸いにして、少しの蓄えと保険、高額医療の払い戻しやらでいくぶんかの余裕がありましたが、入院費やら少し実家が援助してくれました。

家族親戚一同は、向こうに対して怒りと恨みしか持っていません。しかし、冷静かつ常識的な物事の考えを持っている人が多く、その方たちの助言が今の私を助けてくれています。

民事再生をすることを告げたときも良い司法書士さんや行政書士さんを紹介してくれました。
本当にこの一族に生まれてよかったと思います・・・。

その中で一人の司法書士さんとめぐり合いました。そして、数回の話し合い後、正式に契約をし、サポートしてもらっています。温和で人当たりのよさそうな司法書士さんですが、結構凄腕と言う話でした。

費用は、うちの祖父が援助してくれました。お前は生活に必要なものがあるだろうとそれ以外でも援助してくれました。

可愛がっていたひ孫に逢いたいだろうという想いが痛いほど解ってきましたが、彼はそんなこと一言も言わず、孫も可愛かったが、ひ孫はもっと可愛いといっていたのに・・・。日ごろの生活も援助してくれていました。そんな恩もあいつらは、無視して誤りもせず、ただ自分たちは被害者だという顔をできるそんなやつらが憎くてたまりませんでした。

悔しくて申し訳なくておお泣きしました。

そして、心機一転とすべてのものをあたらしいもので揃えました。ただ、TVとか高価なもののはまだ無理でした。安物を探してはそれでも値切って買ってきました。

その内、、少しずつ余裕ができたら彼らに恩返しをしなければなりません。彼が生きているうちにあたらしい嫁とひ孫を見せてやりたいと強く願っています。

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第16話 退院が近づくにつれて

退院が近づくにつれて、うつの症状が色濃くなってきました。先生に言って安定剤を増量してもらい何とかしのいでいました。

看護師さんも色々アドバイスくれてたし掃除のおばさんも心配してくれていました。

そして、退院の日がやってきました。
しばらくは実家で療養と思っていましたが、親戚のおじさんとかと話した結果、自立するためにアパートを借りることにしました。そして通院とアパート探しを始めたのでした。

その間も、うちの家族は私の家の片付けをしていました。元嫁の家族などはまったく無視して片付けもせず、金目のものだけもっていっていたのでした。

そして復職し、調停の前にアパートを見つけ、契約しました。
そしてあたらしい人生への足がかりができたのでした。

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第15話 最後の調停を前に

退院の日が決まりました。最後の調停の少し前、医者は少し心配したけれど、力づけてくれて看護師さんたちの想いや支えてくれる友人たち、家族、親戚のためにも私は戦うことを決意していました。

病床では、いろんな本を持ち込み勉強し、民事再生離婚問題について勉強しました。
涙をこらえ、歯を食いしばり、不安と焦り、怒りを抑えて頑張りました。

疎遠だったけど偶然再会して、お見舞いに来てくれた友人。自分の悲しい経験を励ましに語ってくれた友人。励ましの言葉を色紙に書いてきてくれた上司、心配してくれた同僚、親戚。

負けるわけにはいかない。そう思えるのはあたり前です。

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第14話 私の賭け

元嫁の最大の狙いは、私から養育費を分捕り、それプラス、公的な援助を得て、母親の面倒を見ることだけで、母子家庭のつらさを子供に味あわせたくないとかそういう視点ではないと予測できました。

そして、私は最後の賭けに出たのです。私は、民事再生の手続きを執った告げること。そしてそれは調停員さんを介して相手に伝えられたのです。要は、私は家も売ってすべてチャラにする。

いわば破産してでもあんたらに1円たりともやらない、そして家のローンなどはすべてあなたに支払い義務があるのだということを知らしめることでした。

その民事再生の話を調停員さんに話をするとき、わざと私は賭けに出ました「解雇されるかもしれない、仕事も失うかもしれない」と語ったのです。私の意図を理解してか男性の調停員がニヤリとして「そうですね」と話しました。
女性の調停員も微笑んでいました。私は解ってもらえたと内心喜びました。

実は、法律上では民事再生を理由に解雇も減俸もできないのです。私は知っていました。しかも、身分を保証され、バックボーンの大きい職種である私の仕事は公務員。解雇はまずありえません。調停員も知ってて私が行った駆け引きを理解したのでした。完全に調停員さんは私の味方だと確信が持てた瞬間でもありました。

「では、相手に伝えてきます」と行って出て行きました

私が民事再生の手続きをしている。仕事もやめなければならないかもしれない、解雇されるかもしれないと調停員さんが相手に伝えました。調停員が言うのだから説得力があります。

相手がそれを聞いたとき、元嫁はパニックになったと後で調停員さんに聞きましたが、後の祭りです。支払えるものはない。そして、借金は自分に全部回ってくる。私が自分をここまで犠牲にしてくるとは予想もしなかった事態だったのでしょう。ただ、借金を私に背負わせのうのうと暮らせばよいと考えたていたのだろう元嫁に突きつけられた刃は鋭く重く圧し掛かったでしょう。

そして、調停は冷静さを欠き、次回へと持ち越しとなったのでした。次回が最後だと私は思いました。それは、私の最愛の娘との決別だということも覚悟しました。病院に帰り、自分の病室で消灯後とめどなく涙があふれてきました。

そしてその後も、司法書士の先生とやり取りをし、民事再生の手続きを進めていきました。すべてを失う覚悟を固めていったのでした。

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第13話 出て行ってから

入院中も、元嫁の通る道のそばの病院でしたから、屋上や部屋の窓から行きかう車の中に、元嫁や娘の姿を探していました。

時々見かけることもありました。ふと窓を見たときや偶然が多かった。だから、神様は私たちの縁を切らないように守ってくれているもんだとばかり思っていました。

その考えは、調停が進むにつれて、薄らいで行きました。退院後も同じです。最後は、最後あの子を見た夜から時間が止まってしまていました。

2回目の調停では、養育費の話を切り出してきましたが、払えるような額ではありませんでしたし。もう娘にも会わないと決めたし、出て行くときのせりふが「離婚してでも親をみる」でしたから経済的には満たされているのだと主張しました。最初は高額な請求でした。でも、私は払わない、逆に悪意の遺棄の慰謝料を請求しました。

数回の話し合いでも折り合いはつかず、次回が最後だと私も腹をくくりました。
その間も無視、言うことは支離滅裂で、調停員さんを味方にしていましたからひとつの賭けをしました。

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第12話 ろくでもない母親

元嫁の母は、無職というより痛風や腎臓疾患など、娘はアトピー、祖母は透析をしていたのに、まったく説得力の無く健康食品を販売したりしてほぼ無職、なのに3ナンバーの車に乗り、しっさいとはそぐわない派手な連中と遊びまくっているのでした。

前のけんかのときに言った言葉が耳から離れません。

「孫はいらんから、娘を返せ!」

人間の言葉とは思えませんでしたし、こんな人間がまとも人間を育てられないのは当たり前です。

しかし、今回は完全に無視しています。自分が元凶の一部だというのに。ほんと、人を馬鹿にするにもほどがあります。絶対に天罰がくだることと信じています。

元義弟の親からは、あちらの母親と同居し始めて息子の性格が悪くなったと喧嘩になったこともあります。たぶん、この確執も私がいなくなって再燃することでしょう。知ったことではありませんが。

前言った言葉通り、孫返してもらいたいですね。はっきり言って”見栄っ張り、うそつき一族”です。

そんな人たちを相手にしている私の心労もつきません。ただ、他人になったことがすごくうれしいのが唯一の救いかもしれませんね。

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第11話 離婚に対する見方の違い

私は、元嫁が家を出て、周りの人間兄弟親戚に自分に都合の良いことしか言っていないことを知っていました。
ということは、背水の陣というか、自己催眠状態にして自分を正当化してただ離婚したい、もしくは離婚して不倫相手と再婚したいということなんだと推測しました。

母子家庭になることでの社会の目やつらさは自分たちが良く知っているはずであるが、それが何とかなるという異常な自信へ繋がった精神異常でまともな考えができていないのだと。

さらに、そのことを冷静にかつ双方の意見をきちんと聞いて仲介するものがいなかったということ。前に書いたT氏すら言葉尻では中立を装ってもこっちの意見は、男らしいくドンと構えとけとか詭弁で紛らすだけ、後日談では、ある霊能者に元嫁と不倫相手の相性を占ってもらおうとしていたそうです。

この霊能者の方は、この対応にあきれて人間性を疑ったそうです。私とはやはり住む世界が違うのです。元嫁にあの子は勝手すぎる神様も見放しているし、関わりたくないと告げたそうです。

私は、まず、離婚するなら子供の将来を考えました。あちらの家庭ならまともな人間には育ちません。こちらで引き取ろうとしましたが、裁判なしても父親の不利でしかありませんでした。家やその他の財産にしても私は真剣に考え、離婚以外の方法を模索しつつ、一番良い離婚を考えていました。しかし、その考えは時間とともに私に降りかかる火の粉を振り払い、相手に最大のダメージを与えるかに代わって行ったのでした。

ただ、子供のことだけが私の心に引っかかっていたのでした。

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ご心配かけました。

ご心配かけました。
帰ってきました。

相手は、やっぱりというかすっぽかっしです。

信用して誠意を見せてもこんな感じですわ。ろくなもんじゃない。

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緊急カキコ

ここを見た方に
ここを見た方で、実際の私を知っている人もいると思います。Aさんとか。

今日、20時、N市南部のI町のYという神社に元嫁の親戚のチンピラと関係ある人に呼び出されて、行ってきます。

もし、次の書き込みが明日以降なかったら、T建設のことを警察に通報してください。一応私も警察に相談してから行きます。

冷静な話をするつもりですし、安定剤飲んで行きますから大丈夫だと思うけど。

ちなみに、エドウィン505のジーンズにユニクロのフリースジャケットで行きます。

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第10話 私の決意・・・。

私たちは、結婚と同時に家を建てました。今思えば、その施工などをした嫁の親戚の土建業者に騙されたと実感しています。

ローンは最長で組んで、3分の2が私、残りが元嫁ということと、住宅金融公庫以外の私の会社の共済から借りました。
私も若く金銭感覚も甘かったと思います。結果、民事再生をし、多くの人に迷惑をかけることになってしました。

しかし、私は自己破産ではなく、民事再生という方法を選びました。少しでも責任を果たしたいからです。でも、今までのやり取りから元嫁は踏み倒すつもりです。私の民事制裁が成立していれば、5年間の支払いで免債になります。残りは元嫁に行きます。たぶん、無視し続けるでしょう。うそをついて浮気相手と再婚して、借金があることも知らせずにするでしょう。ばれたときにどうするのでしょうね。もう、知ったことではないのですが。
民事再生も私は早くから対応していました。絶対にあいつらは約束を守らないだろうと思っていたからです。

第2回目の調停の最後で告げたときには、元嫁はパニックになったそうです。そのそんなことは考えていなかったのでしょう。しかし、もう後の祭りです。私は鬼になって、あいつらをつぶすことしか考えていなかったのですから。

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第9話 切り札は最後まで。

第2回目の調停では、わたしが悪意の遺棄をされたと主張しました。それで、不貞のことも私への裏切りも全部、調停員さんに話してありましたし、陳述書にも上申書にも完全に無視していると告げました。無視がいじめの、暴力の最たるものだとの主張に女性の調停員さんは同調してくれて、それから私の見方になってくれました。
そして、何回かのやり取りのうち、高額な養育費の請求やら合わせたいだのうそばっかり言っていたようで、調停員さんがはっきりと「奥さんの言うことは一貫性が無くて信用できないところがあります。」と私につげました。元嫁は元来、うそつきですからそれはそうでしょう。調停員にまでそういわれるとは、ある意味すごいですけど。
このままだと狭い世界でしか生きられないでしょう。もうどうでもいいことですが。
そして、勝手に親権の主張と苗字を変えると言ってきました。
しかし、納得できません。
とりあえず、次回までに考えますとだけ答えてそして終了しかけたとき、私はあることを相手に伝えてもらうことにしました。
私は、民事再生法により民事再生を開始したと。住宅ローンの大部分をそちらが背負うことになると・・・。

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第8話 思惑の読み・・・。

調停が前後はうつがひどくなります。でも、親権以外は負けたくないの無い頭をフル回転、友達などからいろんな本も持ち込んでもらったりしてました。

元嫁の魂胆は、私たち共同名義の住宅ローンを私に全部かぶせ、不倫相手と再婚することだろうと予想していました。しかし、そうはさせません。なぜなら、私と元嫁は連帯保証人の関係、離婚しようが法律的にはその関係は変わりません。今までのローンは私が全額払ってきたという事実もあります。家を売ってもオーバーローンになることは確実でできることをすべてやることにしました。そのために、司法書士の先生と相談し、弁護士とも話し合い、さらなる上申書を作成しました。

元嫁はおおざっぱな性格で金融のことなどほとんど知りませんし、家計簿なども付けないほどどんぶり勘定な人間です。そこに私は盲点をもつけていました。

そして、先手を打ったのです・・・私もそれなりのダメージを覚悟して・・・。

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第7話 第1回調停が始まる。

完全無視も3ヶ月を経過し、公的な機関を使うことしました。
家庭裁判所に、とりあえず私に離婚の意思がなかったので、円満解決のほうの調停で行いました。

調停委員は、事務屋さん的な中年男性とボランティア好きなやさしそうな中年女性です。

私は、馴れ初めからすべてを陳述書という形で提出しました。私の主張が終わり、相手の番になりました。相手は、不倫相手と再婚したがってるという話でしたので離婚調停になるだろうと私は直感しました。

次に私の番、男性調停員さんから「奥様の離婚の意思は固いようですね。」ということと離婚の条件を出してきました。慰謝料の請求はしない、財産はすべて譲る、親権は渡さないというものでした。

私は、怒りと悲しみとすごくいろんな感情が混じって涙が流れました。

ただ、調停員さんが、私の話をキチンと聞いてくれて、私の見方になってくれたことがうっすらとわかりました。

そして、そのまま、円満調停を続けられないので離婚調停へ切り替えることになりました。この時点で、私は心の中で何かを切り取りました。元妻に関するものへの情を捨て、鬼になり元妻をつぶす決意をしました。合法的に経済的にも社会的にも・・・。そのまま帰った入院先の看護婦さんとやり取りを話してみました。あなたは、間違っていはいない、悪いのは元妻だと語ってくれました。

いまのいじめ事件でもですが、最大の暴力は、無視です。私は、ずっと完全に無視されてきました。反撃はこれからです。静かにそっと水面下で気付かれないように司法書士を雇いました。弁護士を雇うとお金もかかるし、表に出てきすぎると判断したのです。

幸いにも敏腕の司法書士の先生とめぐり合うことができたのも数奇な運命が交錯していたのでした。

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第6話 入院生活中にも・・・。

入院生活中も無視は続いていました。仲人さんなどが連絡しようとしても無視し続けています。職場に電話しても出ようとしません。

私は体の不調もですが、精神的にも参ってしまい完全なうつでした。そんな時、仲人さんをはじめ、親戚一同が私を支えてくれました。
さらに、理由を話した病院の看護師さんも離婚経験やうつの経験を持った方がいらっしゃって、本当に励まし、私の娘のことであちらにおいていては駄目な大人になる車を貸してやるからつれてきなさいと一緒に泣いてくれた方もいらっしゃいました。毎晩毎晩、消灯後、娘を思い出しては枕をぬらす日々でした。

そして、私は決心したのです。第3者による話し合いの場しかない。家庭裁判所に調停を申し立てたのです。

呼び出しは、1ヵ月後にやってきました。もちろん入院中です。その間、外出許可をもらっては弁護士、司法書士さんと相談をおこなっていました。

そして、その日はやってきたのです。

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第5話 捨て台詞・・・そして・・。

離婚してでも親をみる」といって家を飛び出して行きました。
私は、体の不調と苛立ちで何していたかわかりません。

そして、しばらくして義兄弟と土建業をしているチンピラみたいな親戚を連れて元嫁は帰ってきました。離婚を告げるためのようでした。

しかし、話の内容は、出て行ったときとはぜんぜん違うことで、元嫁がうそを言って周りを味方につけて行くためだということはりかしました。こちらの意見などまったく聞きません。

今思えば、ここですむ世界の違う人間たちと一緒にいたのだと後悔しています。今は、考えただけでも虫唾が走るろくでもない人間たちです。

私も実家の人間を呼びましたが、言いたいことだけ行ってやつらは帰って行きました。ぜんぜん話が違うほうへと流れていたのでした。

ただ、このときから私の体と精神は限界を超えていました。強烈な腹痛と薄れいく意識の中、実家に電話し、助けを求めました。何をしてくるかわからない人間たちですので、私の実印と家の権利書など重要なものを握り締め、痛みに耐えていました。駄目だ・・・限界・・・意識のなくなる前に・・・と私は救急車を呼びました。

急性胃潰瘍。運ばれた病院で最強の痛み止めを撃たれ、そく入院することになりました。この間、実家は元嫁などに連絡をするも無視していたそうです。そしてこの無視という暴力は最後まで終わることはありませんでした。一度も着替えを持ってくることも無く、見舞いにも来ず無視し続けていました。無論、携帯などは着信拒否をしていました。

治療の結果、回復し退院し、実家に戻りました。アルコールの量が増え、このころからうつの症状ができました。
元嫁は、不倫相手とよろしくやっていると風のうわさも届き始めたころ、私はまた倒れ、再度入院することになりました。もう2ヶ月がたっていました。

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第4話 最後の捨て台詞

私は、仕事の準備のために帰宅していました。
そして、元嫁は夕飯を届けてきたのです。

その時、無職の癖に3ナンバーの車を乗りまわし遊んでいる義母親を支援するため話し合いをするからと言い出しました。
その前に、一度ダバコを吸ったこと、うそをついたことを謝れといいました。そして私は、不倫相手に文句をいいに行くと告げました。

泣き叫び、言葉にならない言い合いをしました。
そして最後に私は、「なら俺に保険をかけろ、相手殺して俺も死んでやるから、その保険金で親見ろ!」と。

すると、元嫁はこう言い放ちました。

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