幸せへの階段!

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第38話 不機遭遇戦

病院では、短期の外出(散歩)が許可されていました。トレーニングも兼ね1キロほど歩きました。
その間、元嫁、うましか母親、うましか姉などの車とすれ違うことがありました。ただ、外に出すぎということで後で制限を受けましたが、屋上に出ることは全然OKでした。過ぎ行く夏空に秋を感じることが出来ました。
そのときには、調停が始まっていました。私は外出許可をもらい、裁判所に赴きました。そして、頭をフル回転させて戦ってきました。
ただ、入院しているという事実と子供との接点で親権を放棄せざるを得ませんでしたが、それ以外では負けませんでした。
負けたくありませんでした。あざ笑うあいつらの顔が浮かんでは消え、その後に残る憎しみの念が私を支えていました。

病院の看護師さんは、いずれ自分のことしか考えなくなる。自分の人生なんだからいくらやり直してもいいのではないかといってくれました。そして、少し霊感のある看護師さんからは私が良く見えていたようです。
そして、一度目の退院の夜、病室の給湯室の窓越しに遠くから上がる花火を見ました。

絶対来年は、幸せになって見返してやって、この花火を見るんだと誓いました。この夏の出来事は絶対忘れません。

そして、2度目に入院したときは、同じ気持ちでした。江原啓之さんの本を全部読みました。着替えを持ってきてくれる家族に感謝もしました。鈴をならしてやってくる祖父の足音に安堵感を覚えたりもしました。上司も何度もやってきてくれました。わたしは、一人ではないとその時痛感しました。私はそれまで、世界の中心は自分でした。でも、間違っていました。私は世界にとってちっぽけな存在でしかないのだといろんな人の人生の流れが交わったり寄り添ったり、離れてい行ったりそんな世界なんだと痛感しました。多くの見知らぬ人からもブログを通して励ましを受けました。叱咤もうけました。

今思えば、それもまた人生。今では前を見据えて頑張って生きたいと思うようになりました。もう、過去は変えられないでも未来は失われていないのだと。
良く行く模型店の店長さん、同級生、臨時で働いていた人いろんな人から私は支えられました。今度は私が支える番です。私はこんなもんじゃない。もっともっとやれるんだって証明したいです。
中でも、親戚のおじさんの激励が身に染みています。理知的で常識的で、優しい言葉で厳しいことを私に言ってくれました。支えてくれました。これから、恩返しをしなければなりません。恩返しをする人が多くいます。正しくまっすぐに生きていくことが彼らへの恩返しの一端だということもわかってきました。

がんばろう。出来る限り無理をしないように一歩一歩、ゆっくりでいい。頑張ろう。

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第36話 うつとの戦い。

私は、胃潰瘍で倒れて、救急車で運ばれました。
そのときの主治医は眠れないということで、強力な薬を私に投与してくれました。
そして、何日か過ぎたころ心療内科も受けてみるべきだといってくださいました。

そして、その病院の心療内科に受診することにしたのです。

車椅子で受診室に運ばれ、物事を穏やかに話してくれるやさしい先生でした。
そこですべてを話し、アドバイスをもらいましたが、薬の処方など一切ありませんでした。
そこで診断されたのは、私が「うつ病」にかかっていること。心の病が根底だということでした。

うつ病・・・それは、心の風邪ともよばれ、誰でもかかる病気であり、重い軽いの差はあれど、季節の変わり目であるとか、冬の季節であるとかそういった環境の変化に心はついていけず拒絶反応を示しているのだということでした。

心の中でいろんなことを考え、どす黒い不安が渦巻き、先の見えないまま心が真っ黒になっていったのを覚えています。

うつ、これは、心の弱さではない。れっきとした科学的にも証明された病気です。脳の情報伝達物質が生成されず、阻害され、心身にも影響を及ぼす病気です。

その引き金が、元嫁の度重なる不貞であり、嘘ばかりついているいった行動、最後の「離婚してでも親を看る」といった発言でした。私に非がないとはいいませんが、相手親の対応、行動を見るにつけ、最近はこの親にしてこの子あり、カエルの子はカエルなんだと思えるようになって来ました。可哀想な人たちです。自分たちの世界以外は否定していいるろくなもんじゃない人たちでした。

私は、精神的に対応しきれず、うつを発祥し、それがストレスとなって一気に胃にあなが3つも開いてしまいました。内臓を手で握られ、えぐられる様な痛みとなって現れました。

これから、離婚問題とともに、うつと戦いも幕が上がったのでした。

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第13話 出て行ってから

入院中も、元嫁の通る道のそばの病院でしたから、屋上や部屋の窓から行きかう車の中に、元嫁や娘の姿を探していました。

時々見かけることもありました。ふと窓を見たときや偶然が多かった。だから、神様は私たちの縁を切らないように守ってくれているもんだとばかり思っていました。

その考えは、調停が進むにつれて、薄らいで行きました。退院後も同じです。最後は、最後あの子を見た夜から時間が止まってしまていました。

2回目の調停では、養育費の話を切り出してきましたが、払えるような額ではありませんでしたし。もう娘にも会わないと決めたし、出て行くときのせりふが「離婚してでも親をみる」でしたから経済的には満たされているのだと主張しました。最初は高額な請求でした。でも、私は払わない、逆に悪意の遺棄の慰謝料を請求しました。

数回の話し合いでも折り合いはつかず、次回が最後だと私も腹をくくりました。
その間も無視、言うことは支離滅裂で、調停員さんを味方にしていましたからひとつの賭けをしました。

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